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心の傷は存在するか

 

 「心の病」という言葉はいまや一般化し、「心の傷」とか「トラウマ」という言葉も、日常的に使われています。

 しかし、「体の傷」ならともかく、「心の傷」って、なんだかうさんくさくないですか? それって、本当に存在するんでしょうか。

 そんな問題意識を持って、精神科の臨床に日々携わっている著者が、一冊の本を書きました。

 興味のある方は、ぜひご一読ください。

中嶋 聡著「ブルマーはなぜ消えたのか--セクハラと心の傷の文化を問う」から抜粋

 

第9章 「傷つく」現代人と被害者帝国主義

 

  最近、「傷ついた」という表現をしばしば耳にする。

 「友人の何気ない一言で傷ついた」とか「体育の教師に『生理中か』と聞かれて傷ついた」などである。

 あるいは、「心の傷」という言葉もごく一般化している。

 「両親の離婚で心の傷を負った子供たち」「事件で深い心の傷を負った関係者たち」などである。

 ほぼ同じ意味で「トラウマ」という言葉が用いられることも多い。

 心理学の専門用語にすぎなかったこの言葉は、今日では日常用語の一つになっている。

 これとともに、「心のケア」という言葉もよく耳にする。

 「同級生による事件で動揺する生徒たちに、心のケアが必要だ」などである。

 これらの表現はいつ頃からよく使われるようになったのだろうか。

 はっきり調べたわけではないが、私の印象ではこの15年くらいであろうか。

 それはおそらく、「癒し」という言葉がよく使われるようになったのと時期を同じくしているのであろうと思う。

 「癒し」というのは、「傷の癒し」という意味であり、この場合はもちろん「心の傷の癒し」ということであろうからである。

 「傷ついた」という言葉を「嫌な思いをした」と言い換えても、それほど意味が変化するとは思われない。

 実際「友人の何気ない一言で嫌な思いをした」「体育の教師に『生理中か』と聞かれて嫌な思いをした」と言い換えても、意味はほとんど変わらない。

 しかし、「傷ついた」という言葉は、「嫌な思いをした」に比べると大げさな言い方である。

 「傷」という言葉が、皮膚が開いて血が流れている体の傷を連想させ、実体的なイメージを抱かせるからであろう。

 さらに、「傷ついた」という言葉には、「傷つけた」相手を非難するニュアンスがある。

 「嫌な思いをした」は、直接的には自分の気持ちを表現しているにすぎない、比較的けれんみのない言い方である。

 しかし「傷ついた」は、表現自体が「傷つけた」者との関係を含んでいる。

 だれか加害者がいて、自分は被害者であるということを暗示している。

 「心の傷」という表現は、「傷ついた」よりもさらに大げさで、実体的な響きを持つ言葉である。

 「傷ついた」というとまだ一瞬の出来事かもしれないという含みがあるが、「心の傷」というと、時間がたってもなんらかの実体として残るもの、あるいは残ってしまったもの、という含意がある。

 いわば慢性の傷というイメージである。だから、事が起こってからあまりすぐの段階では、この言葉を自然には用いることができない。

 しかしこれも最近、「友人の何気ない一言で心の傷を負った」「体育の教師に『生理中か』と聞かれて心の傷を受けた」などと、ごく日常的に用いられるようになっている。

 「心の傷を受けた(負った)」というと、何かかなりひどいことをされたようなイメージがあるが、昨今の日常的な使われ方からすれば、同じことでも発語者の言葉の選び方によってこれら三種類の表現のどれにでもなりうるといえる。

 先の戦争で筆舌に尽くしがたい体験をした人は、日本国内だけでも、何百万人、何千万人といたはずだ。

 言挙げするのも憚られるが、広島・長崎の原爆、対馬丸の犠牲、東京・大阪の大空襲、いやもちろんそれだけではない。

 とても言葉にできないほどの辛い体験を、多くの国民が味わった。

 しかし、これらの体験に関して「心の傷を受けた」などという発言は、ほとんど聞いたことがない。

 本来、本当に大変な体験をした人は、「心の傷」などという軽々しい表現に身を託そうとは思わないはずだ。

 カウンセリングとか、精神療法などによって癒すとか、治療するなどということも、軽々しく口にすることはできないだろう。

 そうした人々は多分、黙って、じっと耐えてきたにちがいない。そしておそらく、それ以外の方法はないのではないかと思うのだ。

 

(後略)

 

 

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