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セクハラって悪いことですか?

 

 最近、男性が何かちょっとしたことをしても「セクハラ」と言われます。

 これって、おかしくないですか?

 「相手がイヤって言ったらセクハラ」???

 それ、あまりに一方的じゃないですか。

 そんな疑問を抱いて、一冊の本を書きました。

 興味のある方は、ぜひご一読ください。

中嶋 聡著「ブルマーはなぜ消えたのか--セクハラと心の傷の文化を問う」から抜粋

 

第6章 セクハラ

 

 「セクハラ」という概念が登場して、もうかれこれ20年近くになる。

 1989年には、流行語大賞の栄誉にも浴した言葉である。

 アメリカ生まれで、もちろん「セクシュアル・ハラスメント(sexual harassment)」の略である。
 いやな言葉が登場した、と思った。

 今も思い続けている。

 しかし「いや」ばかりでは説得力もないから、少しそれを論理に組み立てる努力をしてみようと思う。

  私が問題と感じているのは、次の三点である。

 そのうち特に、最初の二点が重要だと思う。

 第一に、ハラスメント(嫌がらせ)がなぜ犯罪や犯罪まがいの取扱いを受けなければいけないのか、という問題である。

 たとえば、デュエットを強要するのはセクハラだという。

 しかし、強要されてもいやなら断ればいいであろう。

 最終的には個人の意思というものがあるのだから。

 「強要されたからいやいや歌った」というなら、それは結局は歌った本人に断るだけの勇気がなかった、ということであろう。

 たとえ強要したのが上司であっても、個人の意思というものがある以上、「上司の誘いだから断れなかった」という言い訳は通用しないはずである。

 それが通用するなら、談合を行った経理部長も、「社長の指示だから断れなかった」とか、「監督官庁からそれとなく示唆されたから断れなかった」と言って、いくらでも言い訳できることになるだろう。

 このような論理は、ハラスメントを受ける側が、意思決定能力のない子どもである場合にのみ、通用するものである。

 そして実際に、セクハラの論理はそのようになっている。

 そのほかの分野ではやたらに男女の同権性が主張されているのに、ここでは都合よく「女の弱さ」が前提にされているのである。

 第二に、「相手がいやだと感じたらそれがセクハラ」という、セクハラの定義の仕方である。たとえば養父らはこう述べている。

 「セクシュアル・ハラスメントでは、するほうとされるほうに受けとめかたの違いが起こる場合もありますが、ある行為や状況がセクシュアル・ハラスメントにあたるかどうかは、基本的には、『相手の意に反する』『不快な』という受け手の主観的な尺度が基準になります。

 するほうに『悪意がなかった』としても、それが受け手の意に反し、仕事上の悪影響を与えるものであれば、セクシュアル・ハラスメントなのです。」(「知っていますか?セクシュアル・ハラスメント一問一答」p.4)

  このように、ある事柄がセクシュアル・ハラスメントにあたるかどうかの判断の基準は、あくまで受け手の側の主観にあるという。

 しかしこれでは、それを受けたとされる相手の感じ方が、そのまま判断の根拠になってしまう。

 被害者とされる側が、一方的に、判断の審級になる。

 いわば、プレーヤーの一方が、審判を兼ねているのと同じである。

 こうなると、一体何がセクハラにあたり、何があたらないのかを、あらかじめはっきりさせておくことができない。

 原理上、何でもそれにあたりうるのである。

 セクハラが犯罪とされる場合、犯罪の構成要件として、このような恣意的な規定が含まれていていいのだろうか。

 

(中略)

 

  つまり、セクハラでは何をセクハラとするかという内容自体が被害者の主観に委ねられているのであって、この点はほかに例がない対象の規定の仕方ではないかと思われるのである。

 同じく主観が関与するといっても、その関与の仕方が根本的に異なるのである。

 第三に、なぜ「セク」なのか、という問題である。

 なるほど最近では、「パワハラ」とか 「アルハラ」といった言葉も登場し、ハラスメントを一般的に問題にしようという動きも起こっている。

 しかし、多少のタイムラグにすぎないとはいえ、これらの動きが「セクハラ」から始まっているということに注目すべきである。

 これらが「権力関係を前提とした嫌がらせ」という認識において共通しているという意味からいえば、本来は「パワハラ」から問題が始まるのが自然であろう。

 しかしそうはならなかった。ここに、「セクハラ」、そして「ハラスメント」という認識自体が持つ、ある特徴が隠されているのではないかと私には思われる。

 これらの点について、順次検討していきたいと思う。

 

(後略)

 

 

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