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中嶋 聡著「ブルマーはなぜ消えたのか--セクハラと心の傷の文化を問う」から抜粋

 

第5章 「辺縁」という概念

 

(前略)

 

  実際、先にあげた駒大苫小牧高校の事件の場合、新聞報道によれば、口で注意された際、それを聞く生徒の態度がポケットに手を突っ込んだままなどふてくされたものであったという。

 全国優勝を目指して戦っているチームのコーチである。

 ちょっとした気の緩みも許せないような状況で、またそうした気の緩みが他の選手にも伝わることを最も恐れていたことは想像に難くない。

 そうした状況で、このような態度を絶対に放置できないと考え、またほかの選手にもそれを伝える目的で、生徒を殴ったのだとすれば、私は<その状況においては>コーチの行為は決して悪くはないと考える。

 <その状況においては>という判断の仕方を認めない人にとっては、意味のない議論であろうが、私は<その状況においては>という判断はありうると考える。

 社会現象において、中心的・本質的な意味や性質ではないが、それになんらかの無視できない味わいが存在することがある。

 またその場合、そうした味わいを可能にしている、中心的で主たる場ではないがしかし無視できないような特殊領域的な場が存在しているのが普通である。

 私は、そうした味わいのこと、および特殊領域的な場のことを、一般に「辺縁(fringe)」と呼びたい。

 一般的な言い方をすれば、辺縁とは、社会におけるある現象ないしは場が横断的あるいは縦断的(時系列的)に示す、中心性(現象の中心的な意味、あるいは社会一般としての規範や文化)とのずれ、もしくはそれが生み出す効果のことである。

 辺縁は、一般的なものの中にそれを共通性質として持ちながらそれには解消されない独自性をもつ領域が存在する場合に生じる。

 また辺縁は、ある社会現象が時代とともに変化したり、あるいは公式の場の中でその存在証明を求められるときには、現象自体の中心的・本質的な意味や性質は変わっていないのに、しばしば失われてしまう。

  私がブルマーを好きなときに見て、胸のときめきを感じることができたのは、ある時期の日本の社会に生きていたことによって与えられた、辺縁だったのだ。

 また、子供の頃蒸気機関車に乗って、たまらないほどわくわくする気分を味わうことができたのも、当時の社会に生きていたことによって与えられた、辺縁だったのである。

 

(中略)

 

  私は本書で、辺縁がわれわれの生活の中で、一見大した意味がないように見えるにもかかわらず、実はわれわれの精神的健康にも、また健康な社会生活を送るためにも役立っていることを明らかにしたい。

 続く各章で、セクハラ、禁煙運動、インフォームド・コンセントという具体的な社会現象を辺縁の概念を使って検討することを通じて、それを行っていきたいと思う。

 

 

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