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性同一性障害は本当に病気か?--ジェンダーという偽の概念

 

 性同一性障害って、本当に存在する病気?

 私は、ジェンダーという偽りの概念にもとづいた、にせの疾患だと思います。

 興味のある方は、ぜひご一読ください。

中嶋 聡著「ブルマーはなぜ消えたのか--セクハラと心の傷の文化を問う」から抜粋

 

第4章 性同一性障害をめぐって

 

1.はじめに

 ときどき新聞などでも取りあげられるのでご存じの方も多いと思うが、近年、「性同一性障害」なる疾患概念が登場し、精神医療のトピックの一つとなっている。

 実際には、精神医療の現場においてそんなに頻度の高いものではない。

 しかしながら、筆者が医師になった二十数年前には、まったく存在しなかった概念である。

 筆者としては、まず、以前にまったく存在しなかった概念がある時点から現れる、ということに違和感を覚える。

 それは、たとえば以前は存在していなかった水俣病とかエイズという疾患がある時点から現れた、というのとは異なる出来事なのではないかという疑問を感じるのである。

 つまり、存在そのもののレベルにおける真の意味の出現ではなく、概念のレベルにおけるわれわれのとらえ方の変容にもとづく「出現」なのではないのかという疑問を感じるのである。


(中略)

 

2.ジェンダーという概念について

  性同一性の問題に悩む人自体は、おそらく、以前から存在していたものと思われる。

 しかしそれが「性同一性障害」という名称とともに精神医学の表舞台に登場したことは、社会学におけるジェンダーという概念の登場と無関係ではないものと考えられる。

 その肯定的論者、たとえば池内によれば、「ジェンダー(gender)」とは、 身体的な性の区別を意味する「セックス(sex)」と異なり、いわゆる性役割に代表されるような、社会・文化的に形成された性の区別を意味するという。

 そしてそれは、ある社会−−たとえば現代の日本社会−−ではたまたまそうなっているだけで、自然に変化することも、また社会運動によって変化させることも可能だというのである。

 一例をあげれば、男は仕事、女は子育てという性役割は、まったく相対的なものであるという。

 このような考え方がいわゆるポスト構造主義の一典型例であることは、容易にみてとれるであろう。

 さらにそうした論者は、このような相対性を個人のレベルでも成立するものとみなす。

 すなわち、おのおのの個人がセックスと独立にジェンダーを選択することも可能だという。

 身体的には男であっても、社会・文化的には女にあてがわれているような役割やあり方を持つことはできるし、またその逆も可能だというのである。

 たとえば男が口紅を塗ったり、「−−だわ」などという言い方をしても、本人がそうしたくてしているなら、あるいは本人にとってそれが自然であるなら、それは笑うべきことではなく、むしろ「ごく普通のことにすぎない」はずのことなのである。

 そして、それを社会の側がおかしなこととして笑ったり、受け入れることを拒否したりするのは、差別であり、社会の未成熟を意味するものだ、という。

 ジェンダーについての固定観念を持つことは誤りであり、社会は、いかに奇妙に感じられようと、それが本人の選択の結果であるなら最大限尊重すべきである、というのである。

 さて、このようなジェンダー概念から「性同一性障害」という概念への距離は、ほんの半歩もないことは明らかであろう。

 

(後略)

 

 

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