精神科・心療内科・内科・神経科・心理カウンセリング・精神科デイナイトケアのことなら、「なかまクリニック」へ。 中嶋聡の著書紹介もしています。

 

 

HOME施設案内スタッフ著者紹介著書一覧

中嶋 聡著「ブルマーはなぜ消えたのか--セクハラと心の傷の文化を問う」から抜粋

 

第1章 ブルマーの思い出−−ときめきが絶望に変わるまで、そして本書のプログラム

 

(1)ときめきの青春時代

 私がブルマーというものを意識するようになったのは、小学校4年生の頃だったと記憶する。

 私は京都の生まれだが、父の転勤の関係で子供の頃何度も引っ越しをした。

 4歳の時東京の世田谷に引っ越し、S小学校で3年まで過ごしたが、4年に上がる春に名古屋のT小学校に転校した。

 そこにMさんという可愛い女の子がいた。

 それが私が初めて女性というものを意識するようになった時だった。Mさんは勉強もよくできて、ライバル的存在であったのだが、そのため余計に意識するようになった面もある。

 彼女のブルマー姿はまことに可愛く、体育の時間など目がゆかぬ時はなかった。当時のブルマーはいわゆるちょうちんブルマーで、腰のところでホックで留めるようになっていた。

 ブルマー姿にときめきを覚えるのは、Mさんに対してだけではなかった。

 教室から外を眺めて、体育の授業を終えて校舎に帰ってくる女子の姿が見えるときや(位置の関係で教室から校庭を直接眺めることはできなかった)、そうした女子とすれ違うときなど、それだけでドキドキしてしまった。

 ことに、ブルマーが校庭の砂で白く汚れていたりすると、余計に胸の高鳴りを覚えた。

 

(中略)

 

 私は、中学、高校と男子校だった。だから中学に入ってからは、日常的に同級生や同じ学校の生徒のブルマー姿を見るということはなくなった。

 しかし、中学の時には、休日にはよその学校の女子にも校庭を解放していた。

 また行き帰りによその学校のグランドの脇を通れば、女子がブルマーをはいて体育の授業を受けたり、部活にいそしんでいる姿を、ごく日常的に見ることができた。

 ある日曜日など、私がサッカー部の練習をしているとき、隣でよその学校の女子が、監督に怒鳴られつつ、泥まみれになりながらハンドボールの練習をしていたのを、今でも忘れることができない。

その学校の名前は、今でも覚えている。それは私にとって、今でも青春の貴重な一ページだ。

 

(中略)

 

 もっとも、サークル活動の関係で女子大に行ったときも、体育の授業を終えたところらしい女子のブルマー姿を見た。

 その大学でも、ブルマーは必須ではなく、はいているのは一部の学生に過ぎないようだった。

恥ずかしがる様子もなく、無頓着に芝生の上に座っている友人のところに走っていき、隣にちょこんと座った姿がとても自然で、印象的であった。

 そんなわけで、その当時はまだ、消えかかってはいたが、大学生も一部はブルマーをはいていたのである。
 その中でも、私に強烈な印象を与えたシーンがあった。

 たしか翌1975年のことだった。

 

(中略)

 

 私はそのときの情景を、今でも鮮明に思い出すことができる。

 そしてそれは、その後の私に、思い出すたびに幸せを与えてくれた。

 人間の想起の力というものに、感謝せずにはいられない。

 その翌年、私は教養課程から専門課程に進学し、キャンパスも移った。

 もう体育の授業などというものもなくなったが、この頃からはもう、大学生がブルマーをはくというのは皆無となった。

 しかし世の中の小、中、高校では依然としてブルマーが常識だったので、私にはさほどの危機感もなかった。とはいえ、大学生がブルマーを全くはかなくなったということだけでも、もしかしたらこれはいずれ大きな波になるかもしれないという予感は抱かせた。

 

(後略)

 

 

前のページへ 目次・購入ページへ 次のページへ