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中嶋 聡著「ブルマーはなぜ消えたのか--セクハラと心の傷の文化を問う」から抜粋

 

はじめに

 

 私が中学生、そして高校生の頃、女子のブルマー姿を見るのは、甘酸っぱく、そして胸をドキドキさせる体験だった。

 私は中学、高校とも男子校だったが、休日にはよその学校の女子にも校庭を解放していた。

 また行き帰りによその学校のグランドの脇を通れば、女子がブルマーをはいて体育の授業を受けたり、部活にいそしんでいる姿を、ごく日常的に見ることができた。

 ある日曜日など、私がサッカー部の練習をしているとき、隣でよその学校の女子が、監督に怒鳴られつつ、泥まみれになりながらハンドボールの練習をしていたのを、今でも忘れることができない。

 それは私にとって、今でも青春の貴重な一ページだ。そしてそのようなシーンは、いつまでも続くはずだった……。

  ところが、現実はそうではなかった。

 1995年頃を境に、ブルマーは急激に減少し、そして消滅してしまった。

 私にとってそれは、大げさではなく、生きる喜びの一つをもぎとられるような出来事だった。

 自分の青春時代から続いていた胸をドキドキさせる体験の元がなくなってしまったということが、もちろんその直接的な理由である。

 しかしそれに加えて、私や、おそらくは私と同じようにブルマーに夢と希望を託している男性たちの胸のときめきは一顧だにされず、それは当事者の「恥ずかしい」「いやだ」という訴えによって簡単にかき消されてしまったということが、私に大いなる空しさを感じさせたのである。

 それにしても、これからおそらく私が生きている間には、私の青春にときめきを与えてくれていたあの美しい三角の布は復活しないのだという思いは、折に触れて私に絶望に近い気持ちを与えた。

  私は諦めた。時代が変わったのだ、仕方がないのだ、と。しかしそのうち、自分の身の回りに、諦めなくてはならないことがはなはだ多いことに気づいた。

 それに、それに代わって導入される新しいやり方や慣習に違和感を覚えることがとても多いことに気づいた。たとえば、「セクハラ」という概念がいきなり世の中に入ってきたのにも、何かとてもいやな感じを覚えた。ことに、「相手がセクハラと感じたらそれはセクハラだよ」などと人がしたり顔で言うのを聞くと、「えー、なんじゃそれ」と怒りと戸惑いの混じったような感じを覚えた。

 「そんな馬鹿な基準があるか、だれかが一方的に事の善悪を決めていいのかよ。罪刑法定主義は一体どうなったんだ」と言いたくなった。

 あるいは、息子の小学校では担任の先生が、男の子でも「〜さん」づけで呼んでいるという。

 私の感覚からすれば、「〜君」か、または「おい、○○(自分の名前)」と呼んでもらう方がずっと自然だし、現にこれまではずっとそうだったはずである。

 それが急に不自然な呼び方に変わったことに、私は違和感を覚えた。

 新しい考え方ややり方が導入されるたびに、世の中が少しずつ「面白くなくなって」くる感じがした。

 それは関西弁で「なんやおもろのうなってきた」と言うのが一番ぴったりくるような感じであった。

 

(後略)

 

 

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