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中嶋 聡著「分裂病の実践知と治療」から抜粋

 

 ところで、このような実践知の認識は、治療に対しても大きな意味を持っている。

 分裂病の治療は、分裂病者がある独特な意味で「ふつうでない」人であるという認識から出発しなければならない、というのが私の主張である。

 ここにこそ精神科医のプロフェッショナリズムの源泉があり、精神科医が社会に対して発言する際のよりどころがある、と私は考える。

 

(中略)

 

 われわれはまず、分裂病者を、「ふつうでない」面を持った、ありのままの姿で認めなくてはならない。

 そうでなくては、分裂病者をほんとうの意味で受け入れたことにはならないであろう。

 分裂病者を単に自分たち「ふつうの人」にかたどったに姿において見て、「ふつうの人」である限りにおいて受け入れているにすぎないことになるであろう。

 分裂病者のノーマライゼーションというのは、「ふつうでない(=ノーマルでない)」人のノーマライゼーションである。だからここでは、「社会が持っているノーマルの規準にあてはまる範囲において排除されていた人たち」についてのノーマライゼーションではなく、「社会が持っているノーマルの規準そのものから排除されている人たち」のノーマライゼーションが問題になるのである。

 だからその困難は倍化された困難である。社会の無理解を非難しているだけではとうてい克服できない困難なのである。

 分裂病者が「ふつうでない」というのは、社会一般の人たちにとっても、ごく自然な感覚である。

 だから、そのこと自体は非難すべきことではない。「分裂病者もふつうの人として見るべきだ」などというのは、自然な感覚に対する暴力であり、問題を隠しはしても、問題の解決をもたらしはしないであろう。

 解決は、「分裂病者もふつうの人である」という認識を強制するところからではなく、むしろ「ふつうの人ではない」という認識から出発して、「ふつうでない」人を、「人」として受け入れるところからのみ得られるであろう。

 私は、まず第一部で、分裂病の実践知というものが具体的にどのようなものであるかを、私なりの仕方で示してみたいと思う。

 これは決して実践知の全体像を示すものではない。そのかわりに、実践知がごくありふれた日常の経験の中にあることを示すことを通じて、そのひろがりと探求の可能性を示すものである。

 つづいて第二部において、第一部で呈示した私自身の実践知をもとにして、分裂病のひとつの治療論を提出する。これは、必ずしも実践知からストレートに出てくるものではない。

 実践知をベースにしながらも、それに私自身の価値観が加わって出来上がったものである。

 私はここで、分裂病の治療におけるプロフェッショナリズムといったものを追求してみたいと思う。

 

(後略)

 

 

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